ガープの世界を観にった僕は不思議な体験をした。
僕以外の観客がいないという、貸切の状態で映画を観たのである。
映画館に入ったら観客は僕一人だった。
映画が始まるまでに誰か入って来るかと思ったら、誰も来ないまま映画が始まってしまった。
後にも先にも貸切状態で映画を観たのはこの映画だけだ。
ガープの世界って、札幌ではあんまり人気がなかったのだろうか?
映画はもちろん面白かったのだが、途中から一人で映画を観ていること自体が妙に気になり始めた。
そしてこんな想像が頭から離れなくなってしまったのだ。
僕はこの世界でたった一人生き残った人間である。
原因不明の病気、異星人のばらまいたウィルス、彗星の光の影響。
理由はわからないが、とにかく僕以外の人間は誰もいない。
たった一人、この街に取り残されてしまっているのだ。
そして僕はなぜか映画館でガープの世界を観ているのだ。
毎日毎日、決められたように映画館に行き、飽きもせずガープの世界を観つづけている。
人間という主人を失った街は、最後の生き残りになった僕の行動を、息ひそめて見守っている。
でも僕は何をするでもなく、ずっとガープの世界を観つづけるのだ。
映画が終わって、僕の想像も唐突に終わってしまった。
当たり前であるが、映画館を出たら外には行き交う人々がいて、やっぱり僕は一人じゃなかったんだと、ほっとしたようながっかりしたような気分になったのを憶えている。
ディック、筒井康隆、漱石の夢十夜なんかが好きだったので、こんな想像をしたのかもしれない。
さて、映画はとても素晴らしかった。
生きてゆくことの大変さと素晴らしさや、抗うことのできない運命もあるが生きて行かなきゃ、といったメッセージを感じた。
その頃の生活はシンプルで気楽なものだったから、この映画のメッセージがじんわり効いてくるのは、もっともっと後になってからの話なのだが。
ふとした時、空っぽの映画館とともに、あの映画を懐かしく想い出すことがある。
ガープの世界は、僕にとって何か特別な映画のような気がする。
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