冒頭、主人公であるジョンとテッドが成長する過程をみせるシーンがある。
テレビでくいいるようにフラッシュ・ゴードンを観る二人。
単にその時代の雰囲気を説明するためのカットかと思いきや、実はそこが大きな伏線になっている。
ジョンは1977年ごろの生まれという設定なので、フラッシュ・ゴードンが公開された年はまだ2,3歳。
おそらくフラッシュ・ゴードンを封切りでは観ていないはずだ。
でもテレビで繰り返し放映されるフラッシュ・ゴードンを観るうちに、この映画がかれらにとって大切な存在になったのであろう。
僕には兄がいるので、この感じはなんとなくわかる。
兄弟で漫画やテレビをみてるうちに、何年かかけてそれが神格化されてしまう感じってあると思うのだ。
肉親でなければ分からないルールを第三者であるジョンの彼女が理解できないってのは、テーマとしてありなのだが「そこがフラッシュ・ゴードンかい!」っていうのがキモなのである。
「未知との遭遇」や「スター・ウォーズ」の大ヒットで、世界的にSF映画がブームになったのが1970年代後半ぐらいからだろうか。
そして、アメリカのスペースオペラの古典ともいうフラッシュ・ゴードンがリメイクされたのが1980年である。
いみじくもロジャー・コーマンが「大手が我々の領域に手を出し始めた」というのはこのあたりなのだろうか。
フラッシュ・ゴードンは正直素晴らしいSF映画だったとは言い難いが、絢爛豪華でキッチュな映像やクイーンの音楽、そしてどことなくバーバレラを彷彿とさせるビジュアルはとても印象的である。
正統的なスペース・オペラの雰囲気を忠実に再現していたのもフラッシュ・ゴードンの特徴なんじゃないだろうか。
「サム・ジョーンズが来てる!」と電話をかけてくるテッド。
ここからサム・ジョーンズとジョンが30年越しの邂逅を果たすところ、爆笑しながらもちょっと感動する場面である。
ジョンはどれほど嬉しかったろうか。
そして僕も思わず「本人だぁ!」と声をあげてしまったのである。
映画の中のサム・ジョーンズはフラッシュだった、確かにあのフラッシュ・ゴードンだった。
彼が「80年代のパーティーをやるか」と言う場面は本当に素晴らしい。
さて、テッドは実に微妙な映画だった。
R指定のコメデイ映画としてはかなりのヒットだというが、劇場内は「ちょっと空回りしてる」ような空気もあった。
「カワイイけどお下品なクマ」だと思ったら「本当に下品でどうしようもないクマ」で引き気味の人もいた。
なんだか恥ずかしい字幕が出てきて、場内がなんとなく恥ずかしい空気になったりもした。
しかし僕にとっては30年以上たって、フラッシュ・ゴードンの続編を観たような気分だった。
結婚式のシーンでかかるクイーンの「The Wedding March 」を聴きながら、フラッシュ・ゴードンの大活躍を観たような気持ちになったのである。