2012年9月15日土曜日

宇宙のスカイラークを借りたら「金背」が出できた

会社の近くにある図書館。

そこは蔵書が多いのでSF小説の文庫なんかは、その全てが見られるわけではなく、閲覧したい本を探して申告する仕組みになっている。検索システムから目指す本を探して「出力」すると、レシートのような紙がプリントアウトされて、それをカウンターに持って行くのだ。

今回僕が選んだのは「宇宙のスカイラーク」と「刺青の男」である。
両方ともとこかにいってしまって、もう家にはないのだ。

図書館の受付の人が持ってきた本をみて、僕は自分の目を疑った。
宇宙のスカイラークは金背、刺青の男は銀背だったのである。
僕の世代にとっては、金背も銀背も実物をおがんだことがなく、「ははーっ!」という感じ。
こんな貴重な書籍を借りていいんだろうか、という気持ちであった。
とはいえ久しぶりに読みたかったので、ありがたくお借りしたのだが。

 

 家に帰ってからいろいろとみたところ、実に驚くべきことがたくさんあった。

  • 宇宙のスカイラークは昭和41年発行、280円。
  • 刺青の男は昭和35年発行 220円
  • 両方とも保存状態がきわめてよく、図書館でありがちな全面ビニール貼りがされてなかった。
  • 宇宙のスカイラークは野田宏一郎!さんが解説。
  • 刺青の男は福島正実さんが解説。

僕がどれほど興奮していたか。
宇宙のスカイラークは野田昌宏じゃなくって、野田宏一郎が解説してるんだぜ!(野田調で)

今のところは、まだ「宇宙のスカイラーク」しか再読してないのだが、久々に読むスカイラークはちょっと違った印象があった。

冒頭はSFというより、古式ゆかしい探偵小説みたいであるし、意外とロマンス要素が多かったり。
ヒロインのドロシーは往年のパルプSFでいうところの「鋼鉄のブラ」をつけて恐怖におののいているタイプではなく、もっと活動的だし恋愛に積極的だ。

それにしても.....

やはり宇宙のスカイラークは面白かった。
ハイブロウなSF小説が好きな人には、こういったジャンルはもう化石みたいなものかもしれないが、面白いものは面白いのだ。個人的にはいきなり全開でいっちゃうレンズマンの方が引き込まれるが、スカイラークの持つフェアプレー精神みたいな世界観も好きである。

どうだい?君もスペオペしといて良かっただろ?
という野田さんの声が聞こえてくるのである。





2012年9月9日日曜日

世界でたった一人になった僕はガープの世界を観つづける

ガープの世界を観にった僕は不思議な体験をした。
僕以外の観客がいないという、貸切の状態で映画を観たのである。

映画館に入ったら観客は僕一人だった。
映画が始まるまでに誰か入って来るかと思ったら、誰も来ないまま映画が始まってしまった。
後にも先にも貸切状態で映画を観たのはこの映画だけだ。
ガープの世界って、札幌ではあんまり人気がなかったのだろうか?

映画はもちろん面白かったのだが、途中から一人で映画を観ていること自体が妙に気になり始めた。
そしてこんな想像が頭から離れなくなってしまったのだ。

僕はこの世界でたった一人生き残った人間である。

原因不明の病気、異星人のばらまいたウィルス、彗星の光の影響。
理由はわからないが、とにかく
僕以外の人間は誰もいない。
たった一人、この街に取り残されてしまっているのだ。

そして僕はなぜか映画館でガープの世界を観ているのだ。
毎日毎日、決められたように映画館に行き、飽きもせずガープの世界を観つづけている。
人間という主人を失った街は、最後の生き残りになった僕の行動を、息ひそめて見守っている。
でも僕は何をするでもなく、ずっとガープの世界を観つづけるのだ。

映画が終わって、僕の想像も唐突に終わってしまった。
当たり前であるが、映画館を出たら外には行き交う人々がいて、やっぱり僕は一人じゃなかったんだと、ほっとしたようながっかりしたような気分になったのを憶えている。
ディック、筒井康隆、漱石の夢十夜なんかが好きだったので、こんな想像をしたのかもしれない。

さて、映画はとても素晴らしかった。
生きてゆくことの大変さと素晴らしさや、抗うことのできない運命もあるが生きて行かなきゃ、といったメッセージを感じた。
その頃の生活はシンプルで気楽なものだったから、この映画のメッセージがじんわり効いてくるのは、もっともっと後になってからの話なのだが。

ふとした時、空っぽの映画館とともに、あの映画を懐かしく想い出すことがある。
ガープの世界は、僕にとって何か特別な映画のような気がする。