2012年9月23日日曜日

あの夏のエイリアン~そしてプロメテウス#2

2012年の夏。

僕は2本のSF映画に熱い視線を送っていた。
「遊星からの物体X ファーストコンタク」そして「プロメテウス」。
どちらも僕にとっては思い入れのあるSF映画、その前日譚となる作品である。
初めに観たのは物体Xファーストコンタクトの方だ。
札幌では単館上映、しかも上映期間が短いので、先に観ておこうと思ったのである。

物体Xはちょっと驚くほどの素晴らしい出来映えだった。

この映画のコンセプトは明確だ。
82年版物体X、あの話の前に何があったのかを丁寧に描くことだ。
映像の肌触りや、音楽、クリーチャーの造形、したたってくる液体の感じ。
お見事としか言いようがない、まさにこれだという感じ。
「どう?これが観たかったでしょ?」という声が聞こえてきそうなのだ。
では、エイリアンの「ファーストコンタクト」はどうか?
僕は感慨深い気持ちで映画館に向かった。

初めてエイリアンを観て衝撃を受けてからゆうに30年以上が経過している。



その間に色々な映画監督が続編を作ったが、エイリアンの持つ神秘性が薄れてゆくようで、僕は続編に対しては素直な気持ちで観ることができなかったりする。
1作目ではまだ若く元気だったリプリーが、その後の過酷な生活で疲れ果ててゆく様子も切なかった。
でも続編がつまらないと言っているわけではない、1作目があまりに好き過ぎるのだ。

中学生だった僕は、エイリアンを観た後で一生懸命考えた。

 ・あの惑星にあった巨大な船はなんだったのか?
 ・台座のような物に乗った異星人は誰なのか?
 (当時はスペースジョッキーなんて言葉は知らない)
 ・どうしてエイリアンの存在を知っている人間がいたのか?

僕は映画が始まるのを待ちながら、ぼんやりと考えていた。
「プロメテウスを観ることで全ての謎が解けるのかな?」


そして映画が始まった。
全てがエイリアンの1作目につながり、随所に1作目を思わせる演出が入って欲しい。
そんなわがままな気持ちになっている。

LV-223に着いてからの乗員たちの動き、アンドロイドの動き。
無意識のうちにエイリアンと比較して、どこが違っているのか、どこが考慮された点なのか、チェックしている自分がいる。
当然のことながらこの惑星に入って無事で済むわけがなく、一人また一人と犠牲者が出始める。
エイリアンの続編でも相当にエグい描写があったが、ノオミ・ラパスの痛めつけられようは半端ではない。

でも映画が進むにつれて僕はこんな気持ちになった。
「これはエイリアンの0作目ではなく、プロメテウスの1作目なんだ」
物体Xファーストコンタクトの時に感じた「待ってました!」という感じはない。
エイリアンの前日譚というよりは、単に同じ世界を共有している別な作品のようにも思える。
映画の世界に入り込んでいながらも、ちょっとだけ頭の片隅でこんなことを考えていた。

プロメテウスは映画としては相当面白かったと思う。
しかしこれはエイリアンンの0作目ではなく、やっぱりプロメテウスだった。
そこが面白くもあり、残念なところでもあったと思うのだ。

別な監督が撮影していたら、もっと「あざとく」エイリアンにつながっていたかもしれない。
個人的には人類の起源を全面に押し出したプロモーションは違和感があった。

「再び、宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない」

で良かったのでは?


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