図書館でスカイラークと刺青の男を借りたら、金背と銀背が出てきた話の続き。
スカイラークを読み終えて、次に刺青の男を読み始める。
スカイラークの時にも書いたのだが、この刺青の男はなかなかの年代物である。
なんといっても僕が生まれる前に出版されているのだ。(昭和35年発行 220円!)
僕の次の世代のSF読みが、この本を手に取る日がやってくるかもしれない。
くれぐれも取扱い注意なのだ。
幸いなことに息子が夏休みの自由研究で作った「本革ブックカバー」が、どういうわけかサイズぴったりだったので、これを装着して読み始める。
このブックカバー、縫い目はでこぼこであるが、意外と手触りが良い。
ぱらぱらっとめくって驚いた。
小さい「つ」、すなわち「っ」が使われていないのだ。
小さい「っ」は全部大きな「つ」で表記されている。
さすがに戦時中ではないので旧仮名遣いではないが微妙に古い感じ。
そこがまたクラシカルな雰囲気を漂わせているではないか。
もちろん、どの版で読んでも小説の面白さに違いがあるはずはない。
でも、銀背で読むブラッドベリは、なんだか特別な魔法をかけてくれそうな気がする。
そしてあの古書特有の匂い、僕はあの匂いが好きなのだ。
プロローグ、草原と読み進め、最初のクライマックス「万華鏡」がやってきた。
心を震わせながら何度目かの万華鏡を読む。
僕はサイボーグ009も大好きなのだが、このヨミ編を先に読んでいたので、初めて万華鏡を読んだときは「なんだろうこのデジャブな感じ...」と思ったものである。
エンディングがちょっと似てやしいないか?と思ったのたのは相当後になってからである。でもあまり気にならなかったなぁ。
009と万華鏡については、色々な人が色々なことを言っているが、僕は両方傑作なのでそれで良いのでは?と思っている。
しかし何度読んでも万華鏡はいい。
一度本を閉じて、ほーっとため息が出る。
そこから先は時代のせいなのか、人種差別や東西冷戦を感じさせるお話も。
続いて2度目のクライマックスである「今夜限り世界が」。
この読後感は星新一だよなぁ......星さんブラッドベリ好きだったんだろうな。
そしてさらに一作一作、読み応えがある手ごわい傑作が続くのだ。
ストーリーを追うだけではなく、文体や紙の手触りを味わいながら読み進める。
このままどんどん読んで、最後に到達してしまうのが勿体ないほどである。
そしてラストの「ロケット」にたどり着く。
ああもう終わってしまった、そんな感じだ。
そしてエピローグ、再び僕は刺青の男と向き合うことになる。
しみじみとしたり、感動したり、ちょっと毒をもられたり。
SF小説の神髄は短編にあり、ということなのだろうか。
銀背の刺青の男は、手触り、匂い、重み、そして何よりもその内容で、素晴らしい読書体験を与えてくれたのであった。
なお、僕はストーンズの「刺青の男(Tattoo You)」も大好きである。
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