10月は仕事が忙しかった。
よほどストレスがかかっていたのか映画館に避難する日が多かったみたいだ。
2001年宇宙の旅
新・午前十時の映画祭,で実に30年ぶりにこの映画を観る。
最近のVFX映像を見慣れているこの目が、この現代で2001年を観たらどう感じるのだろう。
映像が古びて見えるんじゃないだろうか?作り物っぽく見えるんじゃないだろうか?
観る前はそんなことを考えていたが、それは全くの杞憂だった。
やはりやはりこの映画は2001年を10年以上経過した今でも全く古びてないし、相変わらず「現実が追いついていないよなぁ」と思わされる映画だった。
僕はいつも思うのだが、2001年はドキュメンタリー映画なんだ。
キューブリックが追及したどこまでもリアルに見える映像は、その完成度の高さゆえにいつまでたっても古びない。映像の感触はよくできたドキュメンタリーのような説得力がある。
船外活動ポッドがディスカバリー号から出入りする場面は、何度観ても本物を作って宇宙空間でロケしてるとしか思えない。死ぬまでにあと2回ぐらいは映画館で観てみたい映画だ。
エリジウム
スラム化した地球の風景とそこで暮らす人々の描写がすごくリアルだ。
ブレードランナーを観たときに「未来世界はこれしかない」って思ったのだが、第9地区やエリジウムの未来も非常に説得力がある。
宇宙に浮かぶエリジウムはSF小説の傑作「リングワールド」を思い出させるし、色々な小物、武器、乗り物、コンピュータのインターフェースなんかが、すごく好みの感じでうれしかった。
欲を言えば悪役ジョディ・フォスターの見せ場がもう1つ2つ欲しかった。
それにしても今から50年後にまだGT-Rが現役で走ってる.......なんてことがあるのだろうか?
物資が少ないから過去のスクラップをレストアして使ってるのだろうか。
ルノワール陽だまりの裸婦
僕は勝手に「画家の創作の過程が明らかにされる映画」と思っていたのだが、観てみたらそういう映画ではなかったのだ。ルノワール父子と彼らを惑わすモデルのお話と言った方が良いかもしれない。
この映画のルノワールは晩年をむかえ、年齢と病気のため体の自由がきかなくなり、かつてのような創作意欲は失われている。しかしアンドレという女性に出逢うことで、彼女をモデルにして再びルノワールは裸婦を描き始めるのだ。そこへ戦争から帰ってきた次男、思春期直前の三男がそれぞれアンドレに惹かれ始め、微妙な緊張感がルノワール家を包む。
映像はまさに印象派の絵画のようでとても美しかった。
そして三男坊役のトマ・ドレ君のちょっと不機嫌で、すねたような眼差しがすごく印象的だった。
パッション
今の時代にこんなにもデ・パルマとしか言いようのないデ・パルマ作品を観られるとは思わなかった。
僕の中では「殺しのドレス」「ミッドナイトクロス」「ボディダブル」がデ・パルマ三部作として心の殿堂入りを果たしている。ファントム・オブ・パラダイスもキャリーもスカ―フェースも大好きなのだが、この三作は特にお気に入りなのだ。期待しながら観に行ったのだが、これは......僕的デ・パルマ三部作が四部作になるんじゃないかというぐらい、高濃度デ・パルマ映画だったのだ。
まずレイチェル・マクアダムスの綺麗で意地悪で悪趣味な感じがすごくいい。デ・パルマは本当に女優さんのチョイスが絶妙である。
対するノオミ・ラパスがあえて美人過ぎない役どころなのがいい。そりゃ女優だから、ノオミさんだって実は相当な美人である。しかしこの作品でのノオミ・ラパスはものすごく無様で痛々しくて綺麗じゃなくて、観ていてきりきりと胃が痛む感じだ。ノオミ・ラパスのアシスタント役のカロリーネ・ヘルフルトという人も途中からどんどん「そう来るか!」という感じで話の大事なところに絡んでくる。このスタイル抜群の赤毛の美女も単なる脇役かと思いきや、途中からしっかりデ・パルマジェンヌと化していて素晴らしかった。
三人の女優が怖ろしい形相になったり、セクシーな表情になったり、悪夢にうなされたりするのを観るだけでもこの映画を観る価値があると思うのだ。
悪夢、覚めてもまた悪夢、現実なのか妄想なのか、そして螺旋階段。
妖しく光るナイフ、フェティッシュな女性たち、そして「うわーっ来た!これか!」と劇場で唸ったのが画面二分割のスプリット・スクリーン。頭の中をぐるんぐるん回される感じ、そして脳内麻薬がぱーっと分泌されてるみたい。設定は現代なんだろうけど、どことなく80年代の映像の感触だなぁ.....って最初思ったのだが、これは80年代のデ・パルマタッチだったんだろうと思う。
夜空に向かって「デ・パルマ監督ありがとーっ」と叫びたくなる映画であった。
トランス
映像の感触も、登場人物も音楽も、全てがとてもスタイリッシュ。
そして車の選択が絶妙。 重要な役割を果たすのが真っ赤なアルファロメオとシトロエンの2CVなのがまた良かった。
催眠療法士エリザベス・ラムの登場あたりから、お話が一気に加速してゆくのだが、現実と歪められた記憶が錯綜してゆく感じが素晴らしい。
イギリスが舞台になっているのも、この映画のトーンに影響があるのかなぁ.....なんて思ったりもした。
人が死んだり血が流れたりしてるわりには、エンディングは何故か気持ちよく爽快であったのだ。
クロニクル
観終わって思ったのが「高校生の時に観たかったなぁ」ということであった。
それほどこの映画は青春映画だったのだ。
超能力を手にした彼らは世界を救おうとか悪と戦おうなんてことは全然考えず、ちょっとしたいたずらや子供っぽいお楽しみのために、自分たちの力を使ってしまうのだ。それがまたすごく自然でいいし、確かに高校生でこんな力が手に入ったらこうだよなぁって。
駐車場で車を動かしたり空の上でアメフトしたり、そんな場面のいかにも高校生がフザけてます!っていう描写がすごく良かった。
しかし主人公のアンドリューは家庭環境に問題を抱えた子で、必要以上に自分を抑圧してしまうタイプ。
気づいた時には仲間との溝が深まり、この力に溺れてゆくようになってしまう。この力をうまくコントロールできなくなってしまうのだ。
終盤に展開される市街地での超能力合戦はすごく雰囲気がよく出ていた。
AKIRAと童夢が混ざったような感じである。
「ここまでできるんだったらAKIRAも作れるよなぁ.......いや作れないけど」なんて思ったり。
やっぱり「チカラ」を手にした人間はどうしても不幸になってしまうのだろうか?
オーガストウォーズ
観ると決めた映画はなるべく情報収集せず、事前にWebサイトもあまり見ないようにしている。
その結果、僕はこの映画「ロシアン・パシフィック・リム」だと完全に勘違いしていたのだ。
オープニングはいかにもそれ風なCG、さらにはロシア語のクレジットがすごく新鮮である。
だが、始まってみると時代はほぼ現代のロシア、主人公はシングルマザーのクセーニアさん。
一人息子のチョーマくんはとっても可愛いのだが、パパがいなくて淋しいのか自分にしか見えないロボットや悪の皇帝と、想像の世界で遊ぶような子供である。
オーガストウォーズは戦地に取り残されてしまった息子を、母親が命がけで救いに行く話だったのだ。
実際にあったグルジアのロシア侵攻をもとにしているので、当然現代の兵器によって現代の兵士が闘う映画でありロボットは出てこない。じゃあなんであんなポスターなのかというと、チョーマくんの脳内世界では怖いことの象徴として巨大なロボットが登場するのである。だから、あのロボットは彼の想像の産物として、ちょいちょい登場するわけだ。
映画の半分ぐらいまできて「........もしかしてこれはロシアン・パシフィック・リムじゃないのね.....」と思ったのだが、かといってこの映画がつまらなかったかというと全然そんなことはなかった。
クセーニアさんがまず魅力的である。
そもそも自分が彼氏と小旅行に行きたいって気持ちもあって、分かれた元夫に息子を預けてしまうのだが、それが発端となって息子の命が危なくなってしまうのだ。
途中知り合った兵士達に混ざって、銃弾が飛び交う戦地に飛び込んでゆくあたり、絵としては非現実的なんだけど面白い。どんどん化粧っ気もなくなるのだが、鉄兜から無造作に出ている金髪がなかなか素敵である。巨大ロボSF映画ではなく、リアル戦争映画としてみるとなかなか見応えのある場面が続くし、たまに現れる巨大ロボ的キャラクターもなかなか素敵である。
ぼくはこの日シネコンをはしごしてクロニクル→オーガストウォーズを続けてみたのだが、昭和の二本立てのように大満足の二本だった。
0 件のコメント:
コメントを投稿