2013年7月21日日曜日


恐怖と欲望

これはキューブリックのデビュー作だったにもかかわらず、キューブリック自らが「こんなん観せられるかい!」と封印してしまった作品だという。
それが劇場で観られるというのはありがたいが、キューブリックご本人は天国でどんな心境なのだろうか。



確か最後に劇場でキューブリック作品を観たのはアイズ・ワイド・シャットだったよなぁ…などと思いながら蠍座へ向かう。
驚くべきことに、あれ以来キューブリック作品を映画館で観ていないのだ。

僕は色々なことを考えていた。

 キューブリックがダメ出ししただけであって実はレベルが無茶苦茶が高いんじゃないだろうか?

 まさか本当に出来が悪いってわけじゃないよな?

 キューブリックは天国で「やめろって!観せるんじゃない!馬鹿者が!」って思ってるのでは?

このお話は戦争映画であるが「架空の国のお話」という設定になっている。
飛行機が撃墜されて、からくも命拾いした四人の兵士が、なんとかして味方の前線までたどり着こうとするお話だ。



実際に映画を観ている間、僕の気持ちはまぜこぜであった。

 「なんだ?普通に面白いじゃない?観れる観れる、十分観れる」
 「うーん確かにここはちょっと粗いかも」
 「おおおおおおお!この映画はまぎれもなくキューブリック作品だ!」

そして観終わった後、僕はキューブリックこんなことを言いたくなった。
(いや、実際にあの世で会えたとしても恐れ多くて言えないが)

「封印したいお気持ちは分からないでもありませんが、これは確かに貴方の作品です。貴方がその後色々な映画で語ったモチーフの原点がここにあります。僕はこの映画を観る事ができてとてもうれしかったです。」

上映時間は一時間少々なので、あっという間に終わってしまうのだが、確かにまぎれもなくこれはキューブリック作品だと思う瞬間があるのだ。
演出なのか単に俳優が少なかったのかは分からないが、四人の兵士のうち二人は敵軍の将校と副官を二役でこなしている。この二役が画面に不思議な緊張感を与えていて、このお話の持つ寓話性を際立たせるのにすごく効果的だった。

でもまぁ確かに封印しちゃいたい気持ちも分かるのだ。
何と言っても監督・脚本(共同執筆)・撮影・編集がキューブリックなので、この映画の出来映えに関しては、ほぼ100%がキューブリックの責任ということになる。

僕のような普通の人からみても「うーん今の演技はちょっとw」という場面や「この展開はいかがか」という場面もあった。
極限状況の中でだんだん気が狂ってゆく兵士もいて、おそらくその過程をじっくり描きたかったと思うのだが、じわじわとやられてゆく感じがうまく出せていないとか。
敵軍の将校暗殺にこだわる兵士もいるのだが、そのこだわりを暗示するような伏線が前半であったら良かったのになぁとか。

もっとお金と時間をかけられれば、すごい作品になったんだろうなぁ…と思ったりもする。

同じ頃アメリカでは「ローマの休日」とか「地上より永遠に」なんかが作られてたので、キューブリックが「これは人様の目に触れさせない」と思う気持ちも分かるのだ。
でもキューブリックはこの映画で表現したかった事を、後の作品でしっかり表現していると思うし、僕は素晴らしい映像体験ができてよかったと思っているのだ。

そしてこの映画に登場しているヴァージニア・リースという女優さんはとても美しかった。なんというか、1950年代の女優さんとして美しいというよりも、現代の美の基準でも十分美しいのである。



キューブリックの映画を観ていると、人の心を激しく揺さぶるような瞬間や、ぞっとするような瞬間、あ〜狂ってる狂ってるもう駄目だ、という瞬間がやってくる。

恐怖と欲望はそんなキューブリック映画の原点となる作品だ。
確かに粗い部分もあったけど、まぎれもなくキューブリックの映画であったと思うのだ。

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