札幌では上映しないかと思っていたのだが、なんとやってるじゃないか。
その日札幌を襲った猛吹雪の中、僕は蠍座へと向かったのである。
僕の映画メモによると、カリフォリニア・ドールズ(昔は確かドールスだったはずなのだが....)を観たのは1983年である。
多分封切りではなくリバイバルで観ているはずだ。
その頃の僕はSF映画が好きだったから、この映画はあまり期待しないで観たのだと思う。
でも、カリフォリニア・ドールズはとても面白かったし、観終わった後でなんだか清々しい気分になったのを覚えている。
今回実に30年ぶりに劇場で観られるなんて...僕の心は躍っていた。
僕の記憶に強く残っているシーンがある。
最後の試合が始まる前に、ピーター・フォーク扮するハリーは二人にこう耳打ちするのだ。
「負けても愛してる、でも勝ってくれ」
確かこんな意味合いのセリフだったと記憶していた。
劇場はリアルタイムでドールズを観たであろう中年の方々、そして傑作と名高いこの映画を一目観ようとする若い世代のお客さんも入っていた。
前に観た時は僕も18歳だったんだよなぁ...なんて思っているうちに映画が始まる。
「ああ、確かにこんな感じだった....こんな映画だったよなぁ」とすっかり懐かしくなる。
とにかくピーター・フォークの「シケたマネージャー」っぷりがすごくいい。
シケてるんだけど頭に血がのぼりやすいところも最高である。
ギャラを出し渋るプロモーターに頭にきて、そいつのメルセデスの窓ガラスをバットで粉々にするとか。
ドールズピンチとみるやサングラスに白杖を持って盲人のふりをして乱入するととか。(ここ笑っちゃいかんのだがリングの客席ともども大爆笑である)
このプロモーターはバート・ヤングなのだが、この人のケチくさいプロモーターもすごくいいのである。
なんというか、敵役なんだけど最後まで憎めない。
アメリカでの公開は1981年。
とはいえ80年代特有の享楽的でなんだかピカピカした雰囲気ではなく、まだ70年代の映像の肌触りを残している印象がある。ピーター・フォークが車に乗り、その横を二人がジョギングしている場面は、なんだかため息が出てしまった。
とても美しいのである。
3人ともやりきれないんだよね。
やりきれない思いを抱えながら、なんとかチャンスを求めてドサまわりしてるんだ。
時に眠れなくなるほど不安になったり、感情に歯止めがきかなくなってしまったり。
なんだかんだ言ってもお互いがお互いを必要としているし、必要とせざるを得ないのがすごく切ない。
金はないわ、試合のブッキングもなかなかうまくいかないわ、泥レスには出されるわ、ドールズも散々な目に合う。でもなんだかんだ言ってハリーのコネはあちこちにあるようで、なんとか大きな試合に出られるようになるわけだ。
僕は月刊プレイボーイを密かに立ち読みするような中学生だったので、いわゆるプレイメイト的な女性に憧れを持っていた時期があった。
多分十代の真ん中から後半ぐらいだろうか。
カリフォルニア・ドールズの2人はそんな18歳の僕にとって、すごく性的な意味でアピールするものはあったはず。でも途中からそういった部分はどうでも良くなって、ただただ彼女達になんとか頑張ってほしい、がんばれ!がんばれ!って応援していたのだ。
観終わって感じるのが、結局みんなイイやつじゃない?という感じ。
宿敵トレドの虎の二人も、そのマネージャーも。
ドールズが派手に登場するもんだから、すっかりおかんむりのビッグ・ママも。
バート・ヤングのボディガードも。
とくにビッグ・ママ、彼女の試合も観てみたいじゃないか。
「本物のビール持っといで!」っていうあたり、あの怒りっぷりも最高だ。
そして、トレドの虎のマネージャ、この人すごくかっこいい。
まさにアメリカの「Good Loser(よき敗者)」を体現している感じ。
さて、僕が覚えていた(つもりの)セリフはこうだった。
「負けたっていい、でもそうしたら今までの苦労が水の泡だ」
....なんだ、だいぶ記憶と違ってるじゃないか。
時間の経過と共に、自分のいいように解釈が変わってしまったようである。
でも、そんなことはどうでもいいのだ。
とにかく映画が終わるころにはエキサイトしながら涙ぐんでいる自分がいた。
多分18歳の時も泣いてたはずだ、でも今回はもっと泣いてたんじゃないかな。
ありがとう、ドールズ。
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